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みちのくの旅 パート3 遺跡訪問偏 (三内丸山遺跡)

地盤改良工法、地盤調査の伊田テクノス 営業推進部 千ヶ崎でございます。

前回の続編になりますが、今回はまじめです。縄文時代の遺跡、三内丸山遺跡に行ってきた話でございます。

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先ずは遺跡の概要と紹介でございます。三内丸山遺跡は青森県青森市にある縄文時代前期中葉(約5500年前)から中期末葉(約4000年前)までの約1500年間にわたって長期間継続的に営まれた、北日本屈指の大規模な拠点的集落です。この三内丸山遺跡ですが、青森市の山の中にあり、海からも離れています。そこには貝殻などの海の食べ物がある貝塚があることから海岸はもっと内陸にあったことを示します。

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さて、5500年前の日本はいったいどのような感じだったのでしょうか。この時代を縄文時代といい(約13000年前から2500年前)、当時の地球は温暖化により今より海面が2~3mも高かったそうです。(縄文海進といいます)そして、森は木の実が豊かに稔り、人々は弓矢でイノシシやシカを捕食していたそうです。魚介類も豊富で、食べた貝殻や魚の骨を一箇所に捨て続けることで貝塚ができました。定住が始まり人口が増え、土偶や石棒といった呪術具や、ヒスイ製のアクセサリーが沢山作られたそうです。

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三内丸山遺跡では当時の集落を再現しており、もちろん中にも入ることができます。縄文人になりきってきました。

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さてさて、少々専門的な話をしますと、この時代の地質はとても重要であります。土質工学ではこの年代を新生代、第四期といい、洪積世と沖積世と分かれます。第四期洪積世には、数回の寒冷期が訪れ、大陸部は厚い氷河に覆われていました。氷期には、大気が乾燥し、氷河に接した地域には特殊な地層が発達しました。日本では、洪積世末期(1万年から10万年前)に活発な火山活動があり、数回にわたり多量の火山灰を噴出し、広範囲の地域に火山灰たいせき層ができました。このころの氷期で最大120mほど海面が後退したといいますから、私がよく釣りに行く観音崎沖の水深に歩いて行けたということになります。

第四期沖積世はいまから1万年前までの短い期間を言い、動物は著しく進化し、人間がわずか5~6千年の間に現在の文化的な生活を営むようになりました。この時代に形成された地層を沖積層とよび、砂や粘土などの細かい粒が多く堆積した層を言います。堆積後の時間が短いので、地層は固結せず一般的に軟弱な地盤を形成しています。

地盤調査をして、軟弱地盤と表記があった場合は、1万年をさかいに堆積した所と言う事になります。(洪積層も一度みだしてしまうと空気や水が入り、粒の固結が離れてしまい軟弱になりますので注意が必要です。)

 

最後に、46億年の地球の歴史の中で、第四期は170万年前から現代までを言います。そして、私たちの暮らしている地層はたった1万年の間の地層です。地球のスケールから比べたら、本当に短い期間の地層かもしれません。しかし、地球は常に変化しています。プレートが動いたり、地震もあり、隆起なども起こります。私たちは、皆様の財産や文化を守るために為に、私たちのような仕事があると思っています。大切な建物をしっかりと支えます。今後とも伊田テクノスをどうぞよろしくお願い致します。

 

大切な建物をしっかりと支えます。

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