こんにちは!おいどん!こと及川です。さて話は急に展開し!皆さん大河ドラマ軍師官兵衛は見てますか?私はいつぞやのこのブログでも投稿させていただきましたとおり、歴史好きでしかもこの軍師という役職の人が好きでたまりません。中国史では孫武、張良、諸葛亮、日本史では山本勘助、竹中半兵衛、そして黒田官兵衛。あまり大河ドラマは見ない方なのですが、今回は全部みております。
さてさて。私は行って来ました。備中高松城です。いわずと知れず日本三大水攻めの一つの場所となります。
ちょっと地盤の話をしてよいですか?上の地図は「土地条件図」と呼ばれるものです。HPで国土地理院と検索すると簡単にこの図を閲覧できます。この図は防災対策や土地利用等の計画に必要な土地の自然条件などの基礎資料を提供する目的で作られ、山地、丘陵、台地、段丘、低地、水部、人工地形などが示された物です。そして私はこの土地条件図に水攻めを受けた高松城を置いてみました。黄色のラインですがこれは「自然堤防」と呼ばれています。これは別名微高地とも呼ばれ、川の氾濫によって出来た堤防で、川に沿って発達しています。地図の上の方にある濃い緑は山地になります。そして薄い緑は低地になります。皆様お分かりですね!黒田官兵衛は上流の川を堰き止めて、山地とこの自然堤防を上手に利用して水を溜めて高松城を孤立させる作戦を考えたのです。わずか12日で豊臣軍は土塁を築いています。それには、この微高地を巧みに利用したことで短い工期において堤防を築けたと考えられます。すごいですよね!
上の写真(左)は何年か前に川が氾濫して戦国時代同様の状態になってしまった様子。右側は高松城の跡地と湿地帯の様子。
さてさて私の話はここでは終わらせません。今度はまたもやこのブログで「及川の映画でヨイショッ!」シリーズでお話した続きになります。「のぼうの城」お忘れですか?我が地元に高松城にて水攻めを敢行した時に、ジーっと戦況を見つめていて「この作戦俺もいつかやってみてー!」と虎視眈々と狙っていた石田三成がやってくれました。水攻め!です。
ここで注目すべきは及川家と遺跡石田堤(石田三成が造成させた現存している堤防)の近さにあります。(ブーッ!ブーッ!)ではなく、先ほどお話したように黄色の線は「自然堤防」と説明しましたが、石田堤はこの自然堤防を巧みに利用しています。大河荒川と利根川を氾濫させてこの自然堤防の中に水を引き込む作戦を敢行しました。(斜めのピンクの斜線に水を引き込んだと思われます)ここでもわずか1週間で28キロにも及ぶ土塁を完成させたと言われています。当時の政治強制力はすごいの一言です。上の図は土地条件図が途中で切れてしまっています。これは単純に国土地理院でまだ製作できていないとのこと。のようです。私にとって現在の自分の知識を使って歴史上にどのようなことが行われたかどうかの検証と当時の人の見聞の深さを知ることができるのが妙に楽しくてしょうがないです。今回はどうしてもこの取材記を掲載したかったのであります。オタクの世界にお付き合いいただきありがとうございました!
石田堤は愛犬コロ(前回ブログにて登場)の散歩道でありましたが、昨年11月になんと16年いう人生にピリオドを打ちました。鴻巣市から長寿犬表彰も受けております。
地盤のウンチクを嫌というほど聞いてみたいあなた!お気軽に地盤品質判定士こと伊田テクノス及川にご連絡ください。
伊田テクノス株式会社 基礎技術本部
埼玉県北足立郡伊奈町栄6-91
tel:(048)720-4888 fax:(048)721-2838
http://www.kisogijutu.jp/index.html
地盤調査、地盤改良のお問い合わせは以下のフォームからも受け付けております
http://www.kisogijutu.jp/contact.html
営業所 : 埼玉 千葉 神奈川 茨城 静岡 浜松 名古屋
最近のコメント